誰が言ったかではなく何を言ってるのかが大事という話

古代ギリシャの哲学者のソクラテスとその弟子プラトンの有名な議論で「誰が言ったのかが大事なのか、何を言ったかが大事なのか」問題がある。

参照:00:05:00~00:10:00「プラトンとソクラテスの話」

 

物事の善悪や正解を判断するときに、誰が言ったのかを重視する人がいる。

反対に、誰が言ったのかよりも、何を言ったのかを重視する人もいる。

どちらが正しいのかはひとまず置いておいて、基本的にはこの考え方は立場によって偏りが出るとされている。

立場が上になればなるほど、何を言ったのかではなく、誰が言ったのかを重視するらしい。

逆に立場の弱い人ほど、誰が言ったかではなく、何を言っているのかを重視するという。

 

ここでは多くの人がハマってしまうであろう一流の者へのバイアスを紹介する。

一流が言うから正しいとは限らない

野球のバッティングのコツを知りたいときに、近所のおっさんである野球チームの監督の言っていることと、イチローが言っていることではどちらが信用できるだろうか?

大抵の人はイチローの言うことのほうが正しいと決めつけるだろう。

監督から指導された理論が、テレビでイチローが話してしたことと真逆のことだったりしたら、これはもう疑う余地すらないほどにイチローの言っていることを信じてしまうだろう。

 

しかしながら、知りたいバッティング理論の話が中学の野球部レベルの話なら近所のおっさんの言うことのほが正しい場合もある。(大抵の場合は近所のおっさんが正しい)

イチローがテレビや取材で答えているような話はメジャーリーグやプロ野球のレベルでのことが主なので、軟式野球のそれとはまた別ものだったったりするのだ。

つまり野球のコツを聞くにも、餅は餅屋的な感覚でイチローの言うことを闇雲に信じていると、間違った情報を手にしてしまい、正しい情報に導いてくれる人が身近にいても、ときにそれを無意識的に無下にしてしまうケースもあるということだ。

むしろ軟式野球の指導者という意味では、むしろ餅屋は監督のほうなのである。

こういう場合は、何を言っているのかを自分の中で整理して考える力も大事になってくる。

 

これはまさに誰が言ったのかを極端に信用した結果悪い方向へ導かれ損をするパターンである。

この話の厄介なのが、一見すると判別することが難しいところにある。

やはり普通の感覚でいると、普通の人が野球のコツを知りたい場合、近所の野球好きのおっさん言うことよりも、イチローの言うことを信じてしまいがちなのである。

 

まとめ

実用性の高いことの大抵は、誰が何を言っているのかよりも、何を言ってるかが大事なことが多い。

しかし今の世の中は、圧倒的に誰が何を言うかが大事だと思われているのだ。

インフルエンサーの時代。発言権の持つものはときに炎上し、それでも多くの者は発言権のある者の言葉に影響を受ける。

 

SNSなんて見てると、最近はとくに誰が言ったのかが重視されている傾向を強く感じます。

もちろん時には重要な人物が何を言うのかが問われるときもあるでしょうが、大抵の物事は自分にとってはどうでも良いこと..。

自分は断然「何を言っているのか」派ですね。